2011年3月30日水曜日

おぼえがき (本日205日目)

 今日は昼過ぎまでパラオらしくないgloomy day(どんよりした日)。そのためか、自分も含めて「頭が痛い、休養が必要」と何人かのMOEスタッフが言っていました。私も久々にひどい頭痛に悩まされ、昼は一度帰宅して薬を飲んでからまたMOEに戻りました。  そういう状態ですが、当然のことながら、仕事は「待った」をしてくれません。気がつけば、やること山積。ここでちょっと頭の中を整理整頓したいと思います。 【明日やること】・アイメリーク小学校の校長までメール・アルモノグイ小学校のレッスンプラン(指導案)読み込み・4Qアセスメントテスト6年生版 ダブルチェック・午後はアルモノグイ小学校まで出張 【金曜日以降一週間以内にやること】・ワークショップの準備。自分でPCM(←ブレインストーミングの一種でこういう手法がある)の練習をしてみる・アンガウル小学校への出張準備。Developmental Stage Test の準備(5人分)・算数部会用の来年度の予算申請書をつくる 【ここ1カ月以内でやること】・1年生から3年生の学習指導要領の試案をさらっとつくる 【その他】・広域研修はミクロ、マーシャルと連絡を取りながら作業する・インターネットで募金できる所を見つける・義捐金のためのバサー物品を用意する ・・・・まだまだありそうですが、こんなところ。

2011年3月29日火曜日

Pray for Japan その2 (本日204日目)

  先日の募金活動セレモニーでパラオ高校の学生がプラカードを持って募金活動をしている写真をFacebookにのせたところ、多数の人から「いいね!」コメントをいただきました。ありがとうございました。  よその国のことなのにこんなに親身になって頑張ってくれている、と思うと、私は逆に、今はパラオのために頑張ろう、と素直に思います。  「こんな時期なのによその国を支援する必要があるのか」という意見もあるかとおもいますが、私は、自分の帰国代金(飛行機代)を義捐金にあてて、その分ここしばらくはパラオで頑張ろうと考えています。

2011年3月28日月曜日

追悼の証、友好の証 (本日203日目)


 街燈にかけられた二色のリボン。

 水色と白いリボン。


 津波や地震で亡くなった人への追悼を表す色なのか。


 パラオと日本の国旗にちなんでの、永遠の友好を表す色なのか。


日本と言う国に対して、国家としてここまで哀悼の意を表すパラオには、個人的には感謝の気持ちしかありません。

2011年3月27日日曜日

片付けと自分の頭の中(本日202日目)

 隊員連絡室の環境整備が一斉に行われました。使えないもの、使わないものがこれでもかというくらい出てきて、整備後は結構すっきり。  よく「いらいらするときや頭の中がごちゃごちゃしていているとき」に片づけをするとよい、などと言いますが、今日の環境整備はそんな自分にとって効果絶大でした。そう、自分の活動のことではいつも悩んでいて、先に進めていない感覚があったので・・・・  で 話は鳴門教育大学の先生が来パされたときのことに戻るのですが、その先生の残してくださったアドバイスを残り一年、できるところまで生かしたいところです。  そんなわけで、たった今、向かいでPCをしている後輩隊員のSさんと今後に向けて相談したところ。「もはや途上国ではないかもしれない教育」を意識した戦略を彼女と考えていきたいと思います。 Sさん、これからもよろしくお願いいたします。これからの活動、面白くなっていく予感がしてきました。

2011年3月26日土曜日

お葬式(本日201日目)

 先日、MOEで私の机の隣のブースにいるパラオ語スペシャリストのご主人が亡くなりました。私のカウンターパートから声をかけられ、今日はその方のお葬式に行ってきました。写真を取りたい気持ちはあったのですが、あまりにも不謹慎なため、今日は自粛。

 アラカベサン島にある、ミューンスという地区の一角にそのお家はありました。なんでも、ご主人は上院議員とのことで、たくさんの方が弔問に訪れていました。イエズス・キリストの絵が中央にあったので、たぶんカトリックの家だとも思うのですが、でも「葬儀ミサ」と言うわけでもなく、日本で言うところの「弔問」と「お通夜」と「告別式」を一挙にやった、そんな感じでした。

 日本と大きく違うのは「服装」と「笑顔」と「香典の扱い方」です。まず、服装。日本では、告別式では黒の喪服ですが、こちらはシンプルな服装であればなんでもよく、Tシャツを着ている人も結構いました。普段着とそう違いがないのが特徴です。

  そして、笑顔が多い!普通に笑い声を出してもOKです。これ、参列者に理由を聞いたのですが、「お葬式は『終わり』ではなく、神様のもとに行けるスターティングポイントだから」とのこと。要するに「悲しい場所」ではないんですね。ただ、もちろん家族の気持ちはそれだけではないけれど。

 そして、「香典」。これは、香典を出しに行くと、マイクで「○○さんより、○○ドルいただきました。ありがとうございました」とアナウンスされます。これはかなり驚いた私です。

 出されたお昼を食べ、そして何をするでもなく時が過ぎ、そしてしばらくしたら出棺。その棺にには、生前本人が準備したと思われる、笑顔で「じゃあね」と手を振る本人の写真がプリントされていました。
それを見て、涙が止まりませんでした・・・。

 棺にあった写真のように、笑顔で神様のもとに旅立っていってくれたら、と願っています。そしてご冥福をお祈りいたします。

 

2011年3月25日金曜日

よき友、よき隣人 (本日200日目)




 今日からパラオは大統領令により、パラオ国内の旗を5日間半旗にすることを定めました。そして、今日は「追悼の日」と定めました。これは、日本で起きた大震災に対する哀悼の意、です。 午前中にはMOE(教育省)前でドネーションのセレモニーがありました。私も途中から列席したのですが、列席者からこんな言葉をかけられました。


 "Palau and Japan has a good relationship for long time."


私も彼に伝えました。


" I think so too,and I believe we are good friends, and good neighbors!!"


※スピーチをしている男性は、パラオの大統領、トリビオン氏です。

今後の道標(みちしるべ)(本日199日目)

 今週は日本の大学の先生がパラオに調査に来られており、アルモノグイ小学校、そしてコロール小学校とObservationをしています。今後、パラオの教育隊員はどのように活動していったらいいのだろうか?「教育」は、目に見えないものだけに、ここのところ、みんな悶々とした気持ちを抱えていたのでした。
 そんな中、先生からいろいろ助言をいただくことができました。

・パラオの算数教育は、もはや「開発途上国」としての教育ではないかもしれない。教材もある程度あり、先生方の指導法もある程度確立しているように感じる。

・しかし、日本の学校が抱えている問題と同じように、できる児童とできない児童との差が歴然としており、教員にとっては非常に大変な状況である。

・なので、習熟度別の指導形態を取り入れてもいいかもしれない。

・一方で、学級経営については、教員の力量がまだまだ、といったところ。今後、学級経営の観点からの活動も必要かも。

・いまのJICAパラオ算数部会の方向性は間違っていない。そのまま進めていけるといい。

なんだかほっとしました。時に活動は自分自身を近視眼にしてしまいます。折に触れて、第三者の視点をもらうことは重要だなあ、と感じた一日でした。

2011年3月23日水曜日

こんな時に人をだますな(本日198日目)

 だいふくくららは、毎日必ずメールをチェックするのですが、今日は全く面識のない人からメッセージが入っていました。Facebookにも登録しているので、それ経由でのメッセージでした。

 要は、「自分の知り合いが精神的に不安定になっているのでメール上で話を聞いてあげて助けてほしい」というものなのですが、その連絡方法が、SNSになったかと思えば、そのSNSに入ると自動的に出会い系サイトにジャンプし、しかもお金を払わないと相手のメッセージが見られないという仕組みになっていて・・・・どう考えても「話を聞いてもらう」というスタンスじゃない。

 詐欺だ!!と気付いた途端、へなへなと全身から力が抜けていくのが分かりました。
もちろん、途中で変だと気付いて無視しましたが、にしても、許せん!
 大体こんな時に人の善意を悪用するってどういうこと?!

 幸いだったのは、「絶対にお金を支払わない」というスタンスを取ったことです。

2011年3月22日火曜日

I'm proud of Japan (本日197日目)

 昨日の話です。用事があって、自分のアパートメントのオーナーさんのところに行きました。どうしても話題は日本で起きた大震災の話になるのですが、オーナーさん、実はお父様がOld Japaneseと呼ばれる、第一言語が日本語のパラオ人で、叔父はパラオの駐日大使で東京在住。日本と実にゆかりの深い方です。そんなオーナーさんから、こう言われました。

  I'm proud of Japan.

 「私は日本を誇りに思う」という意味です。この言葉にいいようのない喜びを感じました。

「日本はあれだけの惨事になったにもかかわらず、暴動が起きない。人々はおだやかで、列を作って待っている。そんな日本を誇りに思う」とオーナーさん。

私も、そんな日本を誇りに思っています。

Japan can rebuild new Japan, I believe!!
(日本はまた新しい日本を再び作り上げることができる、私はそう信じています!)

2011年3月21日月曜日

あと残り一年 (本日196日目)

 だいふくくららが予定通りの任期を終えて、帰国するのが2012年3月20日。なんと早いものであと残り一年となってしまいました。
 早い・・・早すぎます。2カ月間、日本で足止めを食っていたのが悔やまれますが、病気のこともあったし、この2か月間パラオで活動できたとしてもきっと同じことを思っていたかも・・・と思うと、まあ、いいか、という気になれます。

 昨晩、同期隊員のMさんとも「なにか算数部会としても『何か』をのこせるといいよね」とはなしていたところなのですが、さて、何が残せるのか?まだまだ課題山積のパラオの算数教育。
 というわけで、自分なりの目標を考えてみました。

 「自分にもできることならやる。できないことは心配しないこと」

これ、大地震支援の自分のスタンスと全く同じです。大体、健康上の問題も事実、抱えているから最後までパラオにいられるのかどうかも判らない。パラオで協力隊活動をしている間は、最善を尽くすのみです。もし最後までいられないのなら、日本に帰って健康を取り戻してまた次の扉を開けばいいだけ、です。

2011年3月20日日曜日

今のわたしにできること(本日195日目)

 震災から10日経ちました。日本からパラオに戻った1週間後に「それ」は起きたのでした。
あれほどパラオでの協力隊活動を続けることを望んでいたのに、今度はパラオに戻ってきてしまった自分を責めたり、「パラオにいてもできること」を考え続けたり・・・・と、きっと、隊員の誰もが似たような思いをしているかとは思いますが、私も相当に悩んだ日々でした。

 で、今の自分が出した結論は、「自分にできることならやる。できないことは心配しない」という、実にシンプルな結論でした。

・募金箱を見かけたら、募金する。自分のできる範囲内での募金をする。
・メールなどで友達が助けを求めていたら、話を聞き、受け止める。
・「青年海外協力隊 日本の被災者になにかしたい」で決まったことに参加する。
・日本のことを心配し、祈ってくれている人たち、もちろんそうでない人たちに対しても感謝の気持ちを持つ。
・日本にいる家族に対して感謝する。

批判的な意見もあろうかと思います。でも、今の私の「精一杯」は、これです。時が立てば、また支援の方法も変わってくるかもしれません。そして、私のスタンスも少しずつ変わっていくのだと思っています。

2011年3月19日土曜日

クリーンアップ キャンペーン (本日194日目)

 朝8時から、「クリーンアップキャンペーン」なるものに出かけました。JICA,PCC(パラオコミュニティカレッジ)、等の協賛による、ビーチのゴミ拾い活動です。

 3~4台のスピードボートに乗り、いざ出港!目指すはロックアイランドの名もない島々です。
「無人島だからそんなにゴミは出ないだろう」と思っていたのですが、プラスチックボトル類が結構漂着していました。

 帰りはミルキーウェイ経由で海に漂うゴミを拾いながらまたコロールに戻ってきました。

 4時間近く船に乗っていたためか、隊員連絡室にいる今もゆらゆらします・・・・。


【青年海外協力隊 日本の被災者になにかしたい】
少しずつ形になってきています。

ありがとう、ぺりこさん (本日193日目)




 昨日のことです。私のCP(カウンターパート)から、「ペリリュー小学校の協力隊員が、活動最後になるので行ってきたら?」と勧めてくれ、急遽MOEボート(公用船)に乗ってペリリュー島にあるペリリュー小学校に行ってきました。MOEからの出席者は二人のチーフ、社会科スペシャリスト、算数スペシャリスト、スクールマネジメントのスタッフ・・・と、自分を含め総勢10名ほどのスタッフで出席しました。




 で、ペリリュー小に着いたら、すでに涙顔のぺりこさん。




ペリリュー小の隊員は、女性隊員なら代々「ぺりこ」と呼ばれているらしく、今回のぺりこさんは確か6代目のぺりこさん。




 この1年9カ月の間、きっと大変なことも、辛いこともあったかと思います。でも、負けずに最後まで協力隊活動をこなしたぺりこさん、私もそうなれるように見習いたいと思います。




 この日のセレモニーでは、ペリリュー小の子供たちも、先生たちも、そして保護者の方々も泣いていました。そして、そのあと、パラワンダンスで陽気にぺりこさんを送りだしました。




 ありがとう!ぺりこさん!!


私も本当にお世話になりました。お互い、教員という同じ職業なので、またどこか日本のどこかでお会いするかもしれません。


 これからもよろしくお願いいたします。

2011年3月17日木曜日

Science Fairその2(本日192日目)





 今日も Science Fair の審査員として学校へ出張。今日の担当校はSDA elementary schoolでした。
SDAとはSeventh-Day Adventistの略。キリスト教系の私立校です。作品群は写真の通りで、特に一番の上の作品は算数指導教材として持って帰りたい、と思ったくらいです。
 午後は、JICAパラオ事務所の所長さんとボランティア調整員さん、そして後輩隊員と一緒に日本大使館へ。弔問に伺いました。亡くなられた方へのご冥福をお祈りするとともに、これ以上被害が大きくならないように、との思いで記帳させていただきました。
 パラオの日本人会も、支援に向けて少しずつ動き出しました。自分も個人レベルで無理のない範囲で何かできないか、考えているところです。

2011年3月16日水曜日

Science Fair(本日191日目)






 6日ぶりに通常の活動のことを。今日は、急遽コロール小学校へ。Science Fairというイベントがエデュケーション・アワネス・ウィーク(教育啓発週間)の一環としてありました。
 それぞれ発表したいものを展示し、実際にその前で説明をする、というイベントです。今日はその審査員としてコロール小に行きました。
 どれも力作です!そしてパラワンカルチャーをまだよく知らない私としては「タピオカサラダの作り方」や「パラワンメディスンの作り方」など、こちらが勉強になる展示もありました。得意げに説明する子どもたち。結局審査はとても難しく、どの子も高得点になりました。このイベント、ぜひ来年も実施してほしいものです。
【青年海外協力隊 日本の被災者になにかしたい】
まだ議論はネット上で続いていますが、だんだんに束になってきた感じです。協力隊員だからこそ、できること。協力隊員であるが故にできないこと。きちんと見極めたうえで自分なりの支援ができればと思っています。

2011年3月15日火曜日

青年海外協力隊 日本の被災者になにかしたい(本日190日目)

 Facebook上で「青年海外協力隊 日本の被災者になにかしたい」という公開グループが立ち上がりました。「今の日本に自分たちも出来る適切な支援は何か?」という議論をネット上でしています。

 支援の前に、冷静な対応を。でも、一刻も早く議論を活動に移行できれば、と思っています。

 今日、パラオはYouth dayという祝日。隊員連絡室でNHKワールドプレミアムから来る情報を見つつ、今後のことを考えています。

2011年3月14日月曜日

Pray for Japan (The 189days today)

地震発生時から今までに私が言われたこと:

「あなたの家族は大丈夫?あなたのために祈っているよ」
(と、ドーナツショップでついていたCNNをNHKにかえてくれた常連のおじさんより)

「あなたの家族と親せきは大丈夫?あなたと、そして日本のためにお祈りします」
(パラオ教育省カリキュラム指導課・ダイレクターより)

「もちろん日本のためにお祈りするわ。昨日テレビで日本の様子を観たけど、私泣いたのよ」
(コロール小学校に来ていた保護者より)

「心配しないで。お祈りしているから」
(パラオ教育省カリキュラム指導課 社会科スペシャリストより)

「お祈りしています。あなた、そして日本はひとりぼっちではないということを思い出して」
(フェイスブック経由でもらったパラオ人友人のメッセージより)

その他、たくさんの励ましの言葉をいただきました。感謝の気持ちでいっぱいです。これらは、私宛のメッセージではなく、日本に向けてのメッセージ。ブログにのせて発信します。

Thank you so much for your kindness.Again, Thank you,

Kmal me sulang!!
Daijobu,Siabal,Daijobu!!
(パラオ語訳:みなさん本当にありがとう!! 大丈夫、日本、大丈夫!!)

2011年3月13日日曜日

Tsunami effect in Palau (the 188days today)

すでにご存じのことと思いますが、日本時間3月11日14時50分頃、東北・関東地方を中心に非常に強い地震がありました。日本と時差のないこちらパラオでも大きなタイムラグはなく隊員にも地震の第一報がJICA事務所を通じて伝えられました。

 同日、パラオ政府は「津波警報」を発令。夕方にはコロール周辺でもサイレンが鳴り響いていました。そしてパラオのテレビでは字幕テロップで「高台に避難するよう」呼びかけがあったようです。そのため、アイライ州にあるパラオ国際空港、コロール小学校は一時的に避難場所となったもよう。

 私たちJICA関係者(青年海外協力隊、シニア海外ボランティア、JICA専門家)には電話連絡でJICA事務所より「警報発令中のため自宅待機、自宅が低地にある隊員は一時避難」「携帯は絶えず取れるようにしておくこと」との指示。

 パラオ政府発令の「津波警報」では、同日19時25分にマラカル港に津波到達との予報。しかし、珊瑚礁に囲まれている国のためか、パラオでは津波は観測されず。一方で、ミクロネシアのヤップ島、パプアニューギニア(PNG)、ハワイでは津波が観測されたとのことでした。PNG派遣中の同期隊員のブログによれば、津波による被害も出たとのこと。また、遠く離れたニカラグアでも津波警報は出たと同期隊員からFacebookを通して連絡あり。

 本日(3月13日)現在では、津波警報も解除され、国際電話がつながらないことを除けば通常の生活に戻った私たちですが、テレビを見ては「今、ここにいていいのか?助けるべきは日本じゃないのか?」と「ボランティア」としてこちらに来ているが故の苦しい胸の内を互いに吐露しています。

 地震に関連してのパラオの様子、遠隔地にいる自分たちがすべきこと、伝えていきます。

 今回の甚大な被害を前に、言葉を失います。亡くなられた方々へのご冥福をお祈りするとともに、もうこれ以上被害が大きくならないこと、そして一刻も早い復興を願っています。

2011年3月12日土曜日

無題(本日187日目)

 これ以上被害が大きくならないことを祈っています。

地震(本日186日目)

 昨日のことです。私たちはちょうど算数部会をJICA会議室でおこなっているときでした。その時に、ボランティア調整員さんから地震の話を聞きました。

 部会が終わってから、すぐ隊員連絡室に行ってテレビをつけたのですが・・・・ 茫然。言葉になりません。私の実家とも連絡がとれず、落ち着かない時間を過ごしました。

 結局、21時過ぎに実家とは連絡がとれたのですが、やはり、父と弟は帰宅できなかったとのことでした。

 正直な胸の内を言えば、今は「こうしてここで活動を続けていっていいのか?日本の方が大変だというのに」という気持ちです。つい数日前まで、あれほどパラオで活動を続けたい、と願っていたのに・・・。

2011年3月11日金曜日

友人来訪(本日185日目)

 昨日のことです。ミクロネシアから来た同期隊員がMOEに来てくれました。
お互いにそれぞれの任地でどんな活動をしていて、どんな状況かをシェアしました。自然にそのような話になるあたり、本当に今与えてられている活動にポジティブに取り組んでいるんだなあ、と嬉しくなりました。

 大変なことはお互いいろいろあるけど、でもまっすぐに取り組んでいきたいものです。

夜は一応お別れと言うことでパラオの「どらごん亭」で盛大にパーティーをしました。
沖縄出身のミクロネシア隊員、H君が得意の三線を披露。それに合わせて「涙そうそう」を一緒に歌ったのですが、駒ケ根訓練所でのこと、そして今またこうして会うことができたこと、いろいろなことを思い、思わず涙しそうになった私です。
 
 今度会えるのは6月のミクロネシア・ポンペイで行われる広域研修。私はその前に個人的にまた定期健診。その結果次第では帰国予定なのですが、でも絶対に会いたい。また仲間と会えることを楽しみにできる限り頑張りたいと思います。

 短期目標だけど、仲間に会えることを励みに最低でも6月までは、頑張る。明確な目標が見えてきました。

2011年3月9日水曜日

(久々に)全員集合 (本日184日目)

 ここのところ、私も日本に一時帰国していたり、ダイレクターは国外出張、そして、英語スペシャリストと算数スペシャリストのメラニーとサラはアンガウル島に出張、と、とても静かでがら~んとしていた私の所属、BCI(Bereau of Curriculum and Instruction,カリキュラム指導課)。
 でも、今日は朝から全員がそろい、ベストタイミングでBCIミーティングが開かれました。
まず最初にオープニングとしてダイレクターから「本来なら月1回ミーティングを持ちたいところなのですが、各スペシャリストも視察で忙しく、そしてダイレクターである私自身も出張でいなかったりと、なかなかミーティングが持てなくてごめんなさい」とご挨拶がありました。今日の会議は基本パラオ語。だいふくくららはパラオ語がわからないので隣にいたメラニーが英語に訳してくれました。

 視察のスケジュールやテストスケジュール、そしてミクロネシアで開かれるコンファレンスの案内など、当面の見通しは持てたような気がします。

 しかし、改めて見回してみると・・・スタッフが全員女性なのはやはり圧巻です。そしていつも思うことなのですが、どうして共通言語(英語)で会議をしない?!ソンソロール島出身の人だっているのに~なんて思う私でした。(※ソンソロール島の人はパラオ語を理解はしていてもしゃべることはありません。第一言語はソンソロール語です)

 メラニーのおかげで私も会議の内容がわかり、ホッと一安心。会議の後は久しぶりに体育スペシャリストのジュビリーと会いました。自分が日本に帰っていたこと、そして病院受診の結果を話したのですが、その中で私が「もう40だし、定期的にチェックしないといけないんだよね~」と言うと(←英語での会話です)

 「え?!だいふくくららって40なの?!ずっと28歳だと思ってた!すごく若く見えるね~」

と、ジュビリーは本気で驚いていたのでした。なんていい人なんだ、ジュビリー!もっと言って!!

2011年3月8日火曜日

友は宝 (本日183日目)

 昨日の夜の出来事なんですが・・・・
個人的には本当にもやもやすることがあり、「このまま協力隊員を続けていっていいのか?」と深刻に思うような出来事があり(注:MOEの中でトラブルがあったわけではありません)、せっかく旅行で来ているのに悪いなあと思いつつ、ミクロネシアの同期隊員に自分の思いを全て話しました。

 じっと聞いていてくれていたお二方。そして、「これから」を考えていくためのヒントをいろいろもらいました。親身になってもらえたことが何より嬉しく、そしていつか何かしらの形で恩返しをしたい、と思っただいふくくららでした。

 いい友人に恵まれた、と心底思います。かつて、歌舞伎役者の坂東玉三郎さんが自己プロフィールの中で「自分の宝」と言う項目に「友人」と答えていたのですが、私も同じ気持ちです。

 本当にありがとう。

【業務連絡】
一時帰国中の写真、「再会」の写真、ちょこっとですが、アップしました。

2011年3月7日月曜日

再始動 (本日182日目)

 約10日ぶりにMOE(教育省)に出勤しました。Welcome Back!!とみんなが口々に言ってくれたのがなにより嬉しいです。そのお礼、と言ってはなんですが、私からは実家近くのスーパーで買ったミニ焼き芋とミニ大福をお土産に渡しました。
 さて、がんばるぞ!と気合だけは人並みに入れたのですが、一体何から手をつけたらよいかわからず、しかも日本とパラオの気温差でなんだかだるく、気合いの割にはあまり成果をあげられない、そんな日でした。

 夕方はJICA事務所に報告。最終的な結論として任期短縮帰国には同意しない旨を伝えました。ただし、「今のところは」という期限限定つきでの不同意です。所長からは「(活動を続けられて)よかったですね」と言われましたが、本当によかったのか?実は自分でもわかりません。日本で診察を受けられたことは安心を得る意味ではよかったのですが、実際には保険の問題もあるし、あまり自分では「よかった」という実感がわかないのが本音です。もちろんミクロネシアの同期と会えたのは本当に嬉しかったけれど。
 なんかもやもやしています。モチベーションを保つのって大変・・・・。

再会 (本日181日目)


 久しぶりに駒ケ根訓練所で一緒だったミクロネシアの同期隊員と会いました。同じ大洋州配属の隊員ということもあり、そして語学の訓練も一緒だったということもあり、訓練所にいた時から仲が良かった間柄。再会できた時は表現しきれないくらい嬉しかったです。
 そして、なにより嬉しいのはお互い元気でいること。もちろん協力隊活動で嫌なこと、辛いことはいろいろあると思うのですが、それも軽く笑い飛ばせるエネルギーがお互いにあること。任国は違えど、一緒に活動できることを嬉しく思っています。

 写真もたくさん撮ったのですが、CF(コンパクトフラッシュ)を家に置いてきてしまいました。なので写真はまとめてアップします。最近、文章ばかりなので・・・

2011年3月5日土曜日

6か月(本日180日目)

 今日で派遣されてから丸半年!!疾走した半年間でした。旅行でも来たことのない国、パラオで一人暮らしをし、わからないながらもなんとか活動をこなし、いろいろな人に支えてもらった半年。

 自分の周りの人々に感謝をしつつ、今日は無理せず横になりたいと思います。

だって

 雪が降った日もあった日本滞在。昨日の日本の気温は最高でも8度。でも、こちらパラオは今の時点(お昼1時近く)でたぶん30℃超え。
 今、とても身体がだるいです・・・。今日は昼寝必須です。

感謝と今後の目標についてはまた後日ゆっくり考えたいと思います。

Go back to Palau(本日179日目)


 昨日の話です。結局、予定通りにパラオへと戻ることになりました。3つ行った病院のうち、とある病院からは腹腔鏡を使った手術を勧められたのですが、時間がないことを理由に断ってしまいました。でも、緊急に行う必要性はなく、いつでもいいとのことでした。
というわけで、改善もしていなければ悪化もしておらず、現状維持のままでの帰国になったのですが、急に入院・手術と言われるよりはいいのかな??

 しばらくは活動できそうですが、3ヶ月後、6カ月後、自分がパラオにいるかどうかは自分にも医者にもわかりません。物事はなるようにしかならない。抗ってしまって後で取り返しのつかないことになってしまうこともある。しかも、ボランティアはあくまでボランティアであって、仕事と同質に考えるものではない。
 と考えると、回答はおのずと見えてくるような気がします。あまり焦らず、のんびりいきたいものです。

余談ですが、デルタ。直行便は本当に身体が楽。

2011年3月3日木曜日

ラストチャンス(本日178日目)

 あっという間の日本滞在。なんと明日もうパラオに向けて出発です。
何か買い忘れた物はないか?と、今日も津田沼を駆け回りました。今日のメインはメガネつくり。
パラオでの活動では結構PCを使うことも多く、どうも物が見えにくくなってしまったなあ、と感じていた今日この頃。かといって、パラオに眼鏡屋は皆無。眼鏡屋に行ける今日を楽しみにしていたところです。
で、結果。

右眼:近視+乱視
左目:乱視のみ

これからはメガネをかけての活動になりそうです。ちょっと気になってスタッフの方に「これって老眼なんですかね?」と聞いてみましたが、そうではない、とのことでした。安心した半面、家に帰ってきてから「あれって社交辞令だったかも」とふと思っただいふくくららなのでした。

どらごん亭(本日177日目)







 お昼に母と二人で「どらごん亭」という食事処に行きました。私の実家から歩いて10分くらいのところにある、小じんまりしたお店です。

しかし

 この「どらごん亭」の本店、なんとパラオにあるのです。(以前載せた「こうもりスープ」の写真はパラオのどらごん亭での写真です)
 もう不思議な縁、としか言いようがありません。嬉しい縁、です。

 写真は後日アップします☆

2011年3月1日火曜日

学校 (本日176日目)

 今日で一応日本での病院通いはおしまい。無事に当初予定していた3つの病院での診察は終わりました。詳しいことはまたパラオに戻ってからJICA事務所に報告するとして。

 今日は、午前中に受診を終えてから、その足で自分の籍が置いてある職場、足立区にある特別支援学校に行きました。実に半年ぶりに学校を訪ねました。
 うまく言葉では言い表せない、感慨、みたいなものが自分の中にあふれました。たった半年ですが、確実に成長している子供たち。そして、「大変」と言いながらも、笑顔で仕事をする先生たち。自分の職場を外から眺めてみて、改めて「いい人たちと一緒に働いていたこと」を実感しました。

 今、だいふくくららはパラオで大人ばかりの職場にいるので、本音を言うと「学校に戻りたい」と思ったのも事実です。かといって、「今すぐにでも協力隊を辞めるか?」と問われれば、それもNOです。

 協力隊としての任期を終えた時に(それは任期満了なのか、任期短縮なのか、自分にもわかりませんが)、また東京の学校で働くことができる。そう思えるだけでも気持ちがうんと元気になります。

(今日のブログの最後に・・・)
東京都立城北特別支援学校の先生方、今日は本当にありがとうございました。本来なら一人ひとりにお礼を伝えたいところなのですが、なかなか難しいのでこの場を借りてお礼申し上げます。一度学校という場所を離れてみて、改めて学校の素晴らしさを感じた次第です。振り返ってみて、素晴らしい上司や同僚の先生方と一緒に仕事ができたことを嬉しく思っています。本当にありがとうございました。